炎上するブログと炎上しないブログのどちらが正しいのか?

炎上した星井七億氏のブログについて」にいろいろな反応をいただいたので、追記を含めて考えてみたい。

まず私のブログが「炎上に便乗したPV稼ぎ」ではないかというコメントについて。
もちろんそうです、というのは半分冗談だが、リンク先が消えて読めなくなったのなら、なんとかして読みたいと思うのが人情というものではないだろうか?
今回の場合は、個人的にはブログもツイートも削除されるべきではなかったと考えている。
誹謗中傷や名誉毀損を含む内容であれば話は別だが、特定の個人や団体を批判したものではないので、ぜひ多くの人に元の文章を読んで判断していただきたいと思っている。

次に、はてなブックマークに責任はないのかというコメントをいただいた。

ryokusai Twitterまとめサイトを悪し様に言ふ割に、はてブコメントスクラムには何の言及もない点について。
私ははてなブックマークが無問題とは言わないが、今回はあまり責任はないと考えている。
はてブのコメントは、ブログのコメント欄のようにも使われている。
それを拒否したい場合には、「Chikirinの日記」のようにブロガーが設定することで、はてなブックマークのコメントを非表示にすることができる。
それで炎上被害がゼロになるとは思わないが、はてなブックマークはそれなりに対策がとられている。
またインターネットに公開している以上、他のサイトやTwitterなどで言及されたり批判されることはどうしようもない。
今回の炎上に関していえばTwitter2ちゃんねるのほうが問題があり、罵詈雑言の多くはTwitter2ちゃんねる上で発言されている。
おそらく「牛丼」と「低所得者」という単語によって反応した2ちゃんねらーによって予想外にスレが伸びて、影響力を持つまとめサイトが動いたことが最大の要因だろう。
星井七億氏がTwitterでは人気のあるアカウントだったにも関わらず、Twitterではかなり厳しい批判コメントが残されている。

ただし星井七億氏は炎上している最中にも自己弁護するようなツイートを繰り返していたため、それが炎上に油を注いだという指摘もある。

ブロガーの炎上対策について

たまたま私のエントリーと ミィア猫氏(id:meerkat00) のブログ記事が同時期に公開され、ネタも一部被ってしまった。
エントリー「低所得ごちそうさまツイート炎上は、地雷と語彙、伝え方の問題では」ではブログが炎上した原因と対策が丁寧に指摘されている。
ブログ運営に興味のある人であれば一読しておくべきノウハウが書かれている。

星井七億さんは「礼儀正しさと見た目は関係ない」と伝えたかったようです。しかし残念ながら、ツイート単独での好意的な解釈は難しい。一番の問題は、不必要な語彙が多いこと。本来の趣旨を伝えるには、語彙の選択や伝え方が適切ではないと思います。この点は、他の方がすでに指摘していました(※最終項にて触れます)。また、文章の問題に加えて星井さん自身が偏見により炎上地雷を踏んでいます。よって偏見による読み手の誤読ではなく、ミスリードさせた書き手の問題です。

低所得ごちそうさまツイート炎上は、地雷と語彙、伝え方の問題では - 夜の庭から

ただし、個人的には炎上しないノウハウを参考にして、低所得者などの地雷になりやすいテーマに触れないのは、むしろブロガーにとっては逆効果だと思う。
例えばミーア猫氏はトピシュ氏のブログをよく参照しているが、トピシュ氏は自分の学歴や年収のことを書いている。
それが事実なのかフェイクなのかは不明だが、旧帝大卒だとほのめかしたり、世帯年収が2千万円だとネタにしている。
人気ブロガーはそういう自分語りのネタをいくつも持っている。
それはオタクであったり、非モテであったり、虐待経験であったり、父子家庭であったりする。
どちらかといえば炎上しやすい地雷ネタだ。
誰しも自分からは炎上したくないものだが、時にはベテランブロガーであっても炎上してしまうことがある。
でも、そういう炎上しがちなブログのほうが、炎上しないブログよりおもしろいのも事実だ。
つまりブログというのは炎上しそうなギリギリのことを書くからおもしろいのであって、当たり障りのないことを言ってもおもしろくはない。
本音を書いているブロガーに、炎上しそうな話題は触れないほうが良いですよ、というのはどうも違う気がしている。

星井七億氏にとっては貧しい育ちだったというのが自分語りネタの一つで、炎上したブログでは生活保護についても語っている。
それは炎上とまではいかないまでも賛否両論の反応があったが、おそらく批判があるとわかっていても書きたいことだったのではないかと思う。

炎上しなければ人気ブロガーにはなれない?

昨年はバカッター事件が相次いだこともあり、ネットリテラシーについて語られることが増えている。
それに伴って、どうもブログをとりまく環境というのが厳しくなっていると感じている。
例えばブログが炎上するのもそうだし、逆に炎上狙いだとブロガーが叩かれることもよく目にするようになった。
スマホの普及によって、ネットユーザーが増加していることも背景にあるのかもしれない。

私はブログをとりまく環境について、masudamaster氏の意見に賛同している。
ブログがマネタイズを基本とした現実社会に飲み込まれているという意見だ。
それはインターネットが自由に発言できない場所になりつつあるという危機感でもある。

我々はますます、気軽な気持ちでブログを書けなくなる。文章に対して誠実な人間はどんどん萎縮して行き、一方では文章に対して情熱も信念も無い人間の、情報不足でデリカシーに欠けた文章だけがネットに氾濫していく。個人の日記レベルで何が悪いのか。そこに「心」が詰まっていればどんなブログであろうと価値はある。

はっきり言って個人の日記レベル 文脈の話 - masudamasterの日記

我々はお前らの戯言や自己実現よりも、人々の好きなもの、人々の日常でのささいな幸せ、彼らの黒歴史や日々の苦しみ、葛藤、悩み、その人が現実では言えないこと、そういうものを読みたいのだ。それをアフィリエイトと承認欲求なんかで見えなくされてたまるか。

承認欲求とは 時が震える 月が消えてく 君が何か言おうとしても - masudamasterの日記

ただ私は悲観的で、いずれネットは現実社会に飲み込まれてしまうと考えている。
例えばTwitterやブログで、AVや性癖の話題をすることはできるし、そうしている人もいる。
しかし、そのアカウントを使って社会時評をすると、「AV好きの言うこと」だとか、「ロリコンのくせに」とか「ビッチのくせに」と批判されることになる。
もちろん、そのほうが良いと感じている人たちもいる。
インターネットは誰もが目にする公衆の場所なのだから、他人の嫌がることを書くべきではないという考え方だ。

もしくは性癖だろうと趣味だろうと自由に書いてもいいが、その場合は炎上を歓迎するくらいの炎上耐性を持たなければならない。
今回のようにブログやツイートを削除してはダメで、イケハヤ師のように炎上したことに感謝しなければならない。
個人情報が晒されたら、人気が出てきたなと喜ばなければならない。
それが嫌だったら自由に書くのをあきらめて、社会時評は増田や2ちゃんねるに書くことにして、ブログやTwitterで淡々と好きなことを書くしかない。

SNSが進化し続けている世の中で、ブログだけが古き良き自由な場所でいられるとは思わない。
インターネットは何を言ったかよりも、誰が言ったかのほうが重要になりつつあると言われているが、そのせいでどうもネットがつまらなくなっているような気がしている。
いずれブログもSNSと同じように、知り合いに話せるくらいの話題しかできなくなるのではないだろうか。