コンビニ店長のブログ人格と身バレの関係について

コンビニ店長がまた増田(匿名ダイアリー)に降臨して話題になっていた(本人確認はされていないが)。

ついさっき、イケダハヤトって人について書いた記事を読んでたんすけどね。

あ、俺も昔ちょっとブログやってたことある人なんですけど。

あれつくづく俺と対極にいる人なんだなあと思いました。

長いです。 ついさっき、イケダハヤトって人について書いた記事を読んでた..

店長の降臨を喜んでいる声が多いが、やはり文章力や考察力は並のブロガーから頭一つ抜けている感じがする。増田に「書籍化とかまあそういう話もそこそこあったんですけども」と書かれているが、おそらく今でもすぐに書籍化されるくらいの文章力はあるだろう。それほどの人がブログを続けられなくなったのは、本人にとっても読者にとっても残念なことだ。
店長の姿はトラブルに巻き込まれて退部した伝説のピッチャーが、誰もいないグラウンドで一人ピッチング練習をしているような光景に似ている。キャプテンが「あいつがいれば甲子園どころか全国優勝だって狙えたさ…」とか言ってる感じである。たぶんこのキャプテンは白熊とかいうあだ名で呼ばれていると思う。

はてな界隈が賑わっているのを見ながら、店長は一体何が間違っていたのだろうと考えていた。シロクマ先生はブログを取り巻く環境の変化が原因の一つだと書いている。

かような昨今のインターネットですから、今、店長がブログをやれる場所なんて存在しないのかもしれません。

コンビニ店長、私はあなたとブログ交流を続けたかった。しかし、それは難しいのようですね。 - シロクマの屑籠

店長は何も間違っていなかったかのような印象さえ受けるが、もし環境の変化のせいにするならば、他にもブロガーが活動を停止していなければおかしいだろう。しかし個人ブロガーは以前より注目を集めているし、はてな界隈でもシロクマ先生を筆頭に古参ユーザーが注目を集めることも多い。

店長の活動停止の理由は身バレだという噂がある。あくまで推測でしかないが、もともとアンチに粘着されていたので、苦情などの嫌がらせがあったのかもしれない。ブログが拡散されることも多く、かなり有名なブログだったので、どんな種類の嫌がらせがあったとしてもおかしくはない。
そもそも仕事上の話題についてどこまでブログに書いていいのかは難しい問題である。例えば書店員のブログは数多くあるが、本の感想を書くだけでも匿名で活動するのは、さまざまな制約があるからだろう。
店長の場合には、どのコンビニチェーンかを明らかにしてしまっていたし、業務上の話もかなり踏み込んで書いていた。匿名でやるのが当然とはいえ、実名では絶対に書けない内容もあった。それがどこまで許される範囲なのかは、制約を受けた本人が裁判でもしない限り明らかにならないだろう。さらにコンビニの場合には、フランチャイズ本部の意向がどこまで及ぶのかという、別の問題も絡んでしまうのでさらにややこしい。結果的には業務上の話題をブログに書いていた時点で、いつかは詰む要素があったということになる。

もう一つ、じつはこちらのほうが本当の理由ではないかと感じているのだが、店長は過去の自分に固執してしまっているのではないかということがある。
よく考えてみると、店長はコンビニの話題さえしなければ、いつでもブログ活動を再開できるはずである。どんな職場であっても、趣味のブログ活動まで禁止することはできないからだ。
だから、これまでのように仕事の話を中心にせず、あくまで趣味や生活のよもやま話であれば、いつでもブログを書けるはずだし、最低でもはてなブックマークTwitterを再開することはできるはずだ。
では、なぜ店長は戻ってこないのだろうか。

今回増田に書かれている話もそうだが、なぜか店長はアマチュアリズムであることを最優先していた。それはアフィリエイトを否定することであるのと同時に、ブログは自由に好き勝手に書くものだという強い思い込みでもある。
なぜか店長は正直にブログに向き合いたいと考えているところがある。誰だって人格を使い分けて生きているのだから、ブログ人格も使い分ければいいのだが、注目されることを目的にしたブログ人格を強く忌避しているようなところがある。
ただそれは医師や社長、自営業などの組織に属さない職業でなければ、かなり厳しい条件でもある。誰だってたまに仕事の話をしたくなることはあるが、そういうことは基本的にネットに書けないのが一般的だ。ときどき退職エントリが話題になるのも、そこに普段は書かれていない暴露話があるからである。

しかし店長は「コンビニ店長」と呼ばれるくらい仕事の話題がブログコンテンツの中心になり、何を語るときにも仕事とは切っても切り離せなくなってしまった。それは不器用ではあるが悪いことではないし、むしろそこが正直だと評価されていた。とはいえ、それは良い意味でも悪い意味でも、オフなのに仕事の話をしてしまうおっさんの姿でもある。「なに書いてもいい自由を俺から奪うな」という強い思い込みは、職業人としての人格が染み付いてしまった自分自身から目を背けるための詭弁でもある。
今さら仕事抜きのブログ人格を作ろうとしても、新しく人格を作りなおすのと等しい作業が必要になるだろう。それは精神医学の話を抜きにしたシロクマ先生のブログのようなものかもしれない。コンビニを外した店長に魅力を感じる人もいるだろうが、以前よりも確実に読者の数は減るだろう。

これはあくまで結果論で、ブログを書き始めたときには誰も予想していなかったことでもある。だから周囲の環境が変わってしまったとも言えるのだが、やはりどこかで職業人としての人格を切り離すべきだったのだろう。店長はそういう自分自身を認識しているから、ネット活動を再開できないのかもしれない。もちろんこれはただの推測である。
こうした想像をしたあとで今回の増田を読むと、頑なに自分のブログ人格を守ろうとしているようにも感じられる。店長のブログ活動はアマチュアリズムだったのかもしれないが、マネタイズを否定していたからといって、批判されずにいたり、アンチから嫌がらせをされずに済むわけではない。
コンビニ店長の姿は、ネットですら自由に生きられない、いかにもこじらせた中年の姿に私からは見える。月間100万PVを達成したブロガーが、匿名ダイアリーでプロブロガーを批判するという構図にも、そうしたマネタイズを批判する立場が純粋だと喝采を浴びることも、どうしようもなく行き詰まっている。そうした生きづらさも含めて店長の魅力だったとはいえ、どうしてこうなってしまったのだろう。嫌儲の行き着く果ては増田しか残されていないのだろうか。ブログを続けられなくなってしまった店長と一緒に、いつのまにかネットの傍流に取り残されてしまった感じがするのである。