ミニマリストは若者の最後の避難場所

個人的にはミニマリストというのは若者文化なのだろうと思う。
ミニマリストについて考えていたら、椎名林檎の曲が思い浮かんだ。動画の内容も歌詞もミニマリストとよく合っている。


椎名林檎 - ありあまる富 - YouTube

歌詞の「価値は生命に従って付いている」というのは物質文明を批判する意味にも取れるし、お金ではなく人の命にこそ価値があるのだと言っているようにも受け取れる。
それは若者を応援するメッセージのようにも感じられる。

さて、ミニマリストに対する批判が盛り上がっている。
ミニマリストが極端な発言をしていることに対して、ミニマリストと言いながらも自意識はちっともミニマリストではないという指摘も多い。

心亡くした親とか、子ども困っちゃうよ? アダルトチルドレン、育っちゃうよ? 変な生活家電買っても、根本的な生活変えないとたいして時間できないから。 暇なお母さんと暇なお父さんになった方が手っ取り早いよ!

ミニマリストがビックカメラへ買い物に行った結果 - 現在退職準備中

一部のミニマリストが悪目立ちして炎上しているが、このことについて考えていたら、ネトウヨと称される愛国主義と似ているところがあると思うようになった。
ネトウヨはおそらく聡明な人も中にはいるのだが、どうしても残念な人が目立ってしまう。
愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」という言葉がある。
アホでもバカでも悪党でも愛国者になる資格は持っている。
だから愛国主義というのは抑制的で冷静な視点を持たなければ、すぐに「俺の国サイコー」みたいな根拠のないマッチョイズムに陥りやすい。
しかも、そういう人はどこの国にも一定数いるもので、どうしても愛国主義というのは単純には受け入れづらいところがある。

それと同じように、ミニマリストは貧乏や無職であっても誰でも名乗ることができる。
ふつう貧乏や無職であることは人前で言いづらいことなのだが、なぜかミニマリストを名乗ると、それがスタイルとして成立してしまうのは不思議なところだ。
ミニマリストがモノを敵視することで自己正当化するのは、他国を敵視するネトウヨとやり方としては同じだ。
断捨離という極端な思想に陥りやすいところもネトウヨが排外主義に陥りやすいところと似ている。
俯瞰的に見れば、日本社会に貧乏な若者が増えていて、その現状をポジティブに転換する思想が求められているのだと思う。
逆に言うと、貧乏な若者がミニマリストを自称している場合には、貧乏を受け入れるための方便としてミニマリストが使われている可能性がある。
ただ、その心理はわからなくもなくて、今の日本では高齢化などの将来不安があって、ブラック企業や低賃金など労働環境が悪化していて、その中で競争し続けるのではなく、なにか別の上昇志向ではない価値観にすがりたいという気持ちがあるのだろう。
もちろんミニマリストの考え方はすべて間違いというわけではない。
例えば、pha氏のように質素で物を持たない暮らしをしている人もいて、その生き方は注目を集めている。
ただ、pha氏はミニマリストと似たような生活をしているが、どうもミニマリストを名乗る勢力とは少し考え方が違う感じがする。
一番の違いは貧乏を許容できるかどうかで、ミニマリストは貧乏を受け入れる覚悟が足りないように見える。

負け組を救えないミニマリスト

ミニマリストを批判したkyoumoe氏のエントリーが注目されたのは、文章がおもしろいだけでなく、貧乏や無職の辛さが具体的に書かれているところにある。
浮ついたミニマリストに対して、負け組人生のリアルな現実をぶつけることで、ミニマリストの主張が人生経験に裏打ちされていないことを際立たせている。

ミニマリストって元々は「装飾的要素を最小限にし簡素な様式を用いた芸術家のこと」だろ。
何がモテコーデだ、そんな選択肢がある時点で物が溢れかえってるだろ。
俺は去年の夏はポロシャツ3枚だけで乗り切ったぞ、3枚だぞ3枚。
今年も3枚で乗り切る予定だぞ、去年の3枚で。

何がミニマリストだこの知性ミニマリズム女が - 今日も得る物なしZ

ミニマリストは貧乏ではないから成立するもので、貧乏な人はミニマリストを自称しないほうがいいのではないかと思っている。
もし貧乏でもいいなら、路上生活者こそ究極のミニマリストということになってしまう。
当然ながら望んでホームレスになる人はいないし、なりたいと思う人もほとんどいないのは、ホームレスになると不便なだけでなく、いろいろな自由も失ってしまうからだ。
ミニマリストというのは不自由をどこまで受け入れられるかがポイントで、だいたい貯金はちゃんとあって仕事もあるけど生活は質素というのが本来の理想的なミニマリストの姿だろうと思う。

ミニマリストが若者中心で中高年にはあまり支持されていないのは、結局のところ勝ち組の人生であればミニマリストになる必要がないからだ。
家族がいて、広い家に住んで、家具が揃っていて、車があり、大きなスーツケースを持って海外旅行に行ける。
中高年はそういう人の姿をたくさん見てきているので、家族もなく、狭い家に住んで、物を持たない暮らしをしているのは、負け組か変わり者だけだということを経験的に知っている。
子供がいれば自然と物は増えていくし、人付き合いも増えるし、それなりに中庸で平凡な人生を送ることになる。
だからミニマリストというのは、どうしても貧乏な若者や変わり者が自己正当化する隠れ蓑に見えてしまう。
ミニマリストが単なるアンチテーゼではなく、もし負け組の人間が救われるとしたら、それは本当に新しい思想になり得るのかもしれない。
しかし、現在のミニマリストというのはどうも現実感がなく、若者文化の一つにしか見えないのが残念なところだ。