はしごたん氏の本の引用とネタバレについて

照準を持たない暴力性の発動

照準を持たない暴力性の発動

前のエントリーではしごたん氏の電子書籍の書評を書いたのだが、コメント欄ではしごたん氏から引用を削除してほしいと要請され、引用を一部削除したが、結局、元に戻すことにした。
経緯としてはこんな感じになる。

はしごたん氏からコメント欄で引用部分を全て削除してほしいと要請がある。
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引用のない書評は考えていないので、減らすことを提案する。
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はしごたん氏から、あとがき以外の引用を削除してほしいと要請される。
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引用部分を差し替えることを提案するが、結局、引用部分を減らすことで納得してもらう。
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はしごたん氏がブログでこの件に触れて一件落着。
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と思ったら、編集担当のぽてっくす(id:potex)氏が、私が引用部分を削除したのは、必要性のない不法引用だった根拠になるとブログで主張。
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私は違法性はないと考えていたので、引用部分を元に戻す。


私が不法引用をしていたかのような主張をされなければ、一件落着のまま済んでいたので若干残念ではある。しかし著者の要望を受け入れたことを、違法性があった根拠にされてしまっては、無視するのも難しい。

chuuさんははしごたんのコメントに対して、前後のどちらかの2つを削除してもよいとの返事をされていましたので、その部分がこのエントリーに絶対になくてはならないというわけではないのかなと、私は感じました。

引用しなければその文章が成立しない、その引用文でなければならないという理由があれば「必然性」があると理解できます。削除可能、差し替え可能ならば、その引用文である「必然性」はない訳ですから、引用要件を満たさないといえるのではないでしょうか。

引用はいいんよう。 - はむはむ報告

著者であるはしごたん氏の希望に沿うことができなくなったのは残念だが、もともと引用の削除を要求をしたことにも無理がある。彼女には彼女なりの理由というものがあるのだろうが、「本をご購入いただいた方のみへ告白した内容でしたので、引用部分のみを削除していただけませんか。」と著者が発言するのは異例なことだ。

私の書評が適正な引用だったか否かについて、私は法律のプロではないので正確にはわからない。ただ勝手な印象だが、おそらく、ぽてっくす氏も法律のプロでもないし著作権の専門家でもない。問題なのは、きちんと専門家に確認するなり法律相談を受けることもせずに不法引用だと判断したことにある。もしそれが間違った素人判断だとしたら、言いがかりに近いものだし、非常に筋の悪い主張だと言えるだろう。
ちなみに今回は電子書籍からの引用なので、プロが見れば白黒の判断が付けやすい話である。もし法律的な是非を問いたいのであれば、専門家に相談すれば、すぐに解決するはずだ。

そもそもネット文化には、欧米で浸透しているフェアユースの思想が背景にある。フェアユースというのは非商業利用であることと公正利用である場合において、著作権を大目に見て著作物を使いやすくする規定だ。これは日本では法整備されていないが、インターネットは国境を超えて利用されているため、ネット文化とフェアユースは切り離せないものになっている。
日本にはフェアユースの規定はないものの、Twitterのアイコンであったり、マンガの2次創作など、さまざまな場面でフェアユースに近い利用がされている。例えばマンガの一コマ引用については、商用ブログで使われることは少なくなったものの、Twitterなどでは今でも頻繁に目にするし、今のところ大きな問題になっていない。
そうした著作権フェアユースの関係について、ぽてっくす氏はほとんど触れていないばかりか、私から見ると、ネット上の著作権について興味がないようにすら感じられる。もしネット上の著作権についてウォッチしているなら、この程度の引用を問題にするとは考えにくいからだ。
むしろ、ぽてっくす氏はフェアユースを一切認めない、著作権者の権利が最大限に守られる清廉潔白な状態を望んでいるようにも見える。本の編集を担当したから神経質になっているのかもしれないが、あまりに潔癖すぎる主張はネット文化にとっても言論文化にとっても、価値があるものとは思えない。

ノンフィクション本のネタバレ

本の引用によって、本の価値はなくなるものなのだろうか。
はしごたん氏は本を書けばその心情が理解できると自身のブログに書いているが、もし本の著者の多くがそんなことを考えているとしたら、私たちは何度もそうした発言を目にしているはずだ。しかし実際には、本の引用禁止、本のネタバレ禁止なんてことを発言している著者は見たことがない。

引用することの重みを知るのは、自分が泥だらけになりながら転がりまわって長文作品を必死に作り上げたあとだとおもう。
自分と協力者が力をあわせて制作した努力の結晶の一部分(しかも結構、重要な部分)のみが、安っぽく切り取られてしまっていることに対する、ショックを感じたから、言わざるを得なくなってしまった。だけど、引用をする人は、そうしたことには気付けない。きっと自分が書籍を出せばこの考え方を理解できるだろうとおもいます。

書籍制作中の苦悩を打ち明けます―ブロガーは引用することに慣れすぎている (追記あり) - heartbreaking.

なぜ、このような心情になってしまったのかというと、自分に好意のある人だけがお金を出して本を買ってくれるという幻想を抱いてしまったからではないかと思う。ブログが炎上したときに、「興味がある人だけ読んで下さい。批判したい人は読まなくていいです。」という発言を目にすることがあるが、そういう初心者が陥りがちな心理状態に似ているところがある。
ブログを10年以上書いているベテランのブロガーがこうした感性に陥ってしまった理由は謎だが、もしかしたら電子書籍を書いた興奮がそうさせてしまったのかもしれない。

また、もともとノンフィクション本というのは核心部分が引用されるものである。ふとAmazon小保方晴子氏の本のレビューを見てみたら、核心部分が引用されているレビューが一番評価されていた。あんな話題の本と、数百部程度しか売れない電子書籍とを比べるのも無理があるとはいえ、Amazonでノンフィクション本として流通していることに違いはない。
もし、これが同人誌として直接頒布されたものなら、ネタバレ禁止も少しは理解できるとしても、Amazon電子書籍を購入する前にネタバレ禁止の約束があったわけでもない。私から見ると、はしごたん氏は本というものを、ファンサービスの一種か何かのように勘違いしている感じがしてしまう。

あと、elve氏が話題にしているが、私も盗癖の章には問題があると考えている。

忘れかけてたって、普通に常習犯じゃないの!! なんだよそれ!! 「自分を試す」だの「勇気」だの完全に田舎ヤンキーだしゲームに例えて盗賊属性とか言ってるんじゃねーよコンチクショー!!

No.0815 はしごたんの本の感想と自分語り - やった値!アザラシちゃん!

本というのはWikipediaの出典にも使われるものだし、犯罪自慢のようなコンテンツを掲載するのはもっと慎重にすべきだった。もし捕まっていたら逮捕勾留されてもおかしくはない状況だったということは、学生時代の万引きの告白などより重大なものだ。
こうした読者に不快感を与えかねない内容というのは、社会的な意義がなければ商業媒体に書くべきことではない。なぜ編集者が修正させなかったのか、あるいはあとがきで開き直るのではなくフォローさせなかったのか疑問が残る。

はしごたん氏にとって盗癖の章が必要だったのは、おそらく善悪を含めた自分自身の姿を出したかったのだと思う。しかし、それはまっとうに生きている子連れの母親を非難しながら、あくまでネット上の人格だと言い訳をしつつも、実際にはただ単に犯罪傾向が強い人間だったという、誰からも評価されない自身の姿をさらけ出しているに過ぎない。彼女の精神的な背景には虐待経験があるが、トラウマを都合よく盾にして他罰的に振舞っているようにも見える。
もちろん、それは法律に違反していなければ、ブログに書くことも本に書くことも自由である。ただし、そうした過激な内容で承認欲求を得ようとする行為は、おそらく読者の大半は見抜いてしまうのではないかと感じる。

こうした黒い衝動を命を削るような思いをしてまで書き続けることは、決して幸せになれる行為ではない。憎しみを吐き出し続けることが本人にとって慰みになるとしても、そこから幸せが得られるとは考えにくい。
昨日もこんなツイートがあった。

ただ、そうした倫理的なものを超えたところに捉えようのない何かがあって、おそらくそれに惹きつけられた人々が彼女の周りに集まっているのだろう。次の電子書籍を書くのか、あるいはブログ活動に戻るのかはわからないが、たぶんこれからもはしごたん氏はテキストを打ち続けていくのだろうし、書評で本を引用されたことなんて、すぐにどうでもいいことになるような気がしている。