牛丼ごちそうさま問題と自然発火型の炎上について

もう2年前のことになるが、牛丼店で「ごちそうさま」を言うべきか否かについて炎上があった。私は発言者に非がない珍しいタイプの炎上だと思い、こんなエントリーを書いた。

ツイートをまとめて読んだり、ブログを読んでもまったくひどい感じはなく、むしろ被害者に過ぎないように感じられる。
それが「牛丼」や「所得の低そうな人(低所得者)」というキーワードを伴っていたことで、2ちゃんねるまとめサイトなどで叩き対象へと祭り上げられて炎上した。

炎上した星井七億氏のブログについて - 人生夢オチ

そして昨日、しっきー氏がまったく同じようなことをブログに書いて、炎上気味に注目を集めた。おそらくしっきー氏は2年前の炎上を知らずに、素直に思ったことを書いたのだろう。

松屋が採用している料金前払いの券売機システムだが、ここから一つの重大な問題が発生する。それが『松屋で「ごちそうさま」を言うか問題』である。

松屋で「ごちそうさま」を言うか問題 - しっきーのブログ

そういえば最近、喫茶店の新聞が深めにホチキス止めされていて読みづらいというエントリーが批判を集めていた。私はそのとき軽く違和感があった。
というのも、牛丼店でごちそうさまを言うか言わないか問題や、喫茶店の新聞がホチキス止めされていて読みづらいと感じてしまうことは、あまりによくある日常的な話題である。それは政治的に正しくないことを発言しているわけでもないし、主語大きい案件でもない。犯罪自慢でもないし、倫理に反する内容でもない。むしろ、そんなことを話題をするなと責める人のほうが、多様性を認めない態度にも見えてしまう。
そうしたエントリーに対して脊髄反射的にツッコみたくなってしまうこともわかるし、そうした反応は双方向性のメリットでもある。とは言うものの、ときどき叩きたくて叩いているように見えてしまう反応もある。
これはしっきー氏のエントリーで一番人気のコメントだが、これが本当に社会を良くする動機から発せられているコメントなのだろうかと疑問が残る。
松屋で「ごちそうさま」を言うか問題 - しっきーのブログ

運動と瞑想の習慣が無い者の末路はいつも悲惨だ。こんな事でチマチマ悩む人生にどんな価値があるのか理解に苦しむ。なぜこんな事で消耗するのか、瞑想しない人間の脳の構造はどうなってるのか。元気に大声で言っとけ

2016/05/04 22:46

読者が発生させるタイプの炎上

2年前の牛丼ごちそうさま問題を炎上と呼ぶのなら、炎上の一部には読者の側に原因があるタイプの炎上もあるのではないだろうか。たまたまブロガーが反論に失敗したとか、ブログの支持者が少ないといった理由で、内容にそれほど問題があるわけではないのに、じわじわと炎上が燃え広がってしまうことがある。
もちろん読者が炎上を作り出せるわけではない。しかし、内容に問題がないのに、対応が悪くて炎上したなどと言われる場合、その炎上の原因は本当にブロガーの側だけにあるのだろうか。

そういうタイプの炎上でよくあるのは話題にしたブロガーを責める内容である。例えば「理解に苦しむ」、「どうでもいい」、「慶應SFCともなると…」といったコメントが多い。
自然発火型の炎上は影響力が少ないブログでは発生しない。なぜなら相手が弱小ブロガーだとツッコミを入れづらいからだ。逆にちょっとしたネット有名人だったり、ライターや経営者だったりすると、「これ話題にするようなこと?」というツッコミを入れやすいので、本当に些末なことでも炎上する。

飲食店で「ごちそうさま」を言うか言わないかというのは、どちらが正しいという問題ではない。実際には牛丼店では「ごちそうさま」を言わない人のほうが多い印象がある。それなのに、この話題が再び注目されるのは、多くの人がそこに違和感を感じているからだろう。それは「話題にするようなこと?」とツッコむようなことではなく、SNSやブログにピッタリな話題だったということでもある。
私が気になっているのは、2年前の炎上も含めて、もしかしたら炎上の一部には、本人に非がないタイプの炎上があるのではないかということだ。それについて誰かがまとめてくれないかと思ったのだが、さすがにそれは他力本願すぎるので、この問題についてもう少し掘り下げてみたい。