まつたけのブログに書かれた遺書について

追記(2013-11-19)
遺書のようなエントリーは、「苦しくてどうにもならないけど絶対に死んだりはしない」に書き換えられました。
(追記ここまで)

いつものようにネットサーフィンしていると、遺書のようなエントリーがあった。
ぼかして書いたところで不親切だしわかりにくいから書くと、まつたけのブログのことだ。

本人が読むかもしれないので、先に本人に向けて書いておきたい。
・私はあなたのファンではない。
・きっとあなたが死んだとしても悲しくない。
・もし自殺を実行してしまうと、このブログにアクセスが集まるので大変喜ばしい。
・始めたばかりの泡沫ブロガーを喜ばせるために死ぬのはもったいないので、しばらく死なないでください。


人間というのは残酷なもので、見知らぬ誰かが死んだとしても悲しみを感じることはない。
一ヶ月前からホットエントリーで見かけるようになったブロガーが死んだとしても、ニュースで死亡事故を聞いた程度の感情しかないだろう。

でも、この遺書のようなエントリーが意識にこびりついて離れない。
「苦しくてどうにもならないので死ぬことにした」というタイトルのタブが開かれていることに、どうしても違和感があったのだ。

そろそろエントリーが公開されてから丸3日が経つ。
どうなったんだろう?
死んだら、死にましたって言ってね(無理)


苦しくてどうにもならないので死ぬことにした。



がんばってもがんばってもなにも変わらなかった。

いったいなんのために生まれてきた人生だったのか結局最期までわからなかった。

悔し泣きや悲しくて泣いてばかりの人生だった。いつか生まれてきてよかったってよろこびの涙にむせび泣くのが夢だったけど、いつまでたってもそんな日が来るはずなんてないことも知ってる。もう自分自身にだまされたふりをしてあげるのも疲れた。

これから死ぬのに思ったほど言うこともなかった。

来世とか生まれ変わりとかなければいいなって思う。あと地獄とか。でもまあ地獄とかあったとして自分が生きた人生となにが違うんだよって気もする。とにかくもう十分。

生まれてきたことがそもそもの間違いだった。

しあわせになりたかったけど、自分みたいな人間がいくら生きててもしあわせになんてなれないことも本当は知ってるし、これからも苦しい思いをするだけだと思うからもうおしまいにする。

やさしくしてくれたほんの何人かの人たちにだけ謝りたい。本当にごめんなさい。

苦しくてどうにもならないので死ぬことにした - まつたけのブログ


自殺に詳しい人は、よくある自殺未遂者の文章で、たぶん死なないとか言うかもしれない。
タフに生きている人は「泣いてばかりの人生」という表現を軟弱だと感じるかもしれない。
ブコメは、「いつ死ぬか書いてないからこれは釣りですね!」とか、「死ねたら報告よろしくおねがいします。」などの一歩引いたコメントが多い。
Twitterを見ると、かまってちゃん体質のようなので、そういう冷静な反応も当然だと思う。

個人的には挫折したときにありがちな文面だと思った。
「がんばってもがんばってもなにも変わらなかった」とか、「生まれてきたことがそもそもの間違いだった」とか。
いつもの平常運転の増田を読んでいるようだと感じた。
ネットウォッチしていると、いつのまにか挫折した人生に詳しくなっている。
だからこれを特別な人の特別な感情だと思うことはない。
よくある最近の日本人の心象風景に過ぎない。

きちんと調べていないが、ネット社会なので遺書や犯行声明がネットに残されていることも当たり前になった。
ロスカットくらって2ちゃんに書き込みをして、実際に電車に飛び込んだり。
Ustreamで首吊り実況する奴がいたり。
いずれは自殺未遂を繰り返して、自殺してしまうようなブロガーも登場するだろう。
今回、どういう結果になるにしろ、いずれ来るべき事態に備えていなければならない。
愛読しているブロガーの自殺はグロ画像よりもきついはずだ。
大きなトラウマになることは避けられない。
そして、それが一部の人にとって現実になりそうなところまできている。

そういえば最近、赤木智弘氏がツイッターで彼女募集していたけど、あれもさほど変わらない行動じゃないかと思う。
感情を吐き出せば、どこかに伝わると思っている。
現実の誰かに大切にしてほしいのに、ネットにそれを求めてしまう。
実際にはインターネットに書いたところで、ほとんど似たような層にしか届かない。
非モテの悩みは非モテにしか届かず、
オタクの悩みはオタクにしか届かず、
セクマイの悩みはセクマイにしか届かず、
主婦の悩みは主婦にしか届かず、
若者の悩みは若者にしか届かない。
だからネットで泣き言を言うやつは、同情されるよりも馬鹿にされる。
なぜなら、それを読んでいるのは、ほとんど同じ境遇の人間だからだ。
みな似たような人間を見て安心している。
周りはコーヒーやジュースを飲みながら、「ふふ、困ってる困ってる」とそれを見ている。

もし面と向かって話すとしたら、生きていれば楽しいことがあるとか、いいかげんなことを言うだろう。
でもネットではそういう表面的な言い方はそぐわないし伝わらない。
ツイッターやブログしか心の拠り所がない。
そういう人間同士が、毎日いいことないよね死にたいよねって書いているのに、これから死にますっていうときにかける言葉はあるんだろうか?
心配する声もあるけれど、大半の反応は当り障りのないものにならざるを得ない。

結局、クズみたいな人間が死ぬんだから、無様な死に際になるのも仕方ない。
まともに生きることもできなかったのに、死ぬときだけ格好良くなんてできない。
だから、もっと派手にさわいで死ぬ死ぬ詐欺をやりながら、ブログを炎上させてアクセスを稼いだほうがいい。
そんでアフィリエイトで稼いだ金で、何度かソープにでも行ってから死ねばいい。
本当にやるなら、死ぬのはやめましたっていうエントリーを書いてからにするべきだ。
絶対そのほうがいい。
人生の価値が100倍くらい高まる。
間違いない。