弱者がネット活動をするのは間違っているだろうか

シロクマ氏(id:p_shirokuma。以下シロクマ先生とする)といえば、長年のブログ活動からも、精神科医として何冊も単著を出している点からも、多くの人から注目されているブロガーの一人である。
そんなシロクマ先生に対して、良い意味でも悪い意味でも話題の尽きない齊藤貴義氏(id:cyberglass。以下齊藤さんとする)がシロクマ先生は強者の論理ではないかと指摘するエントリーを書いた。

単著を出している古参だからといって、強者の論理を振りかざしても猛烈に空振りしているだけである。

シロクマ先生は強者の論理を振りかざしている ネットは現代の駆け込み寺だ - はてな村定点観測所

ネットが弱者の駆け込み寺になりうるかという点については、多数の疑問の声が挙がったものの、シロクマ先生が強者の論理の押し付けをしているという点にはあまり反論はなかった。
この件についてブログで言及したhouyhnhm氏も、シロクマ先生が価値観の押し付けをしているという点では同意する部分があるようだ。

シロクマセンセの目線はちと歪んでいる。「世の中をロールモデルでうめつくしたい」というような欲、あるいは「弱者に対する杖としてのロールモデル」というような、ありがた迷惑な、社会的欲求の変形だったりする。

シロクマセンセは強者でも弱者でもなく。 - 深淵

シロクマ先生は齊藤さんのエントリーに触れはしたものの、それは反論エントリーと言うより、いつものように成熟した承認欲求の重要性を繰り返す内容だった。2つ前のエントリーでは齊藤さんのエントリーについて「文章内容は間違っているがタイトルは正鵠を射ていて」とまで書いていたのに、何が間違っているのかは説明していない。
こう答えただけだ。

 理想?
 
 私は理想だとは思いません。
 
 現実ですよ。

インターネットでも心理的に未熟な人は不利……だとしたらどうすべきか - シロクマの屑籠

シロクマ先生はface to faceのコミュニケーションをすることが大事で、それこそが現実だと断言している。それは精神科医としての経験に裏打ちされたものなのかもしれないが、議論の進め方としては雑である。さらにネットでの付き合いは5年から10年、少なくとも3年程度の長い付き合いをすることが好ましいという。

しかし、シロクマ先生が言っていることは受け入れがたい部分もある。例えばネットでの人間関係といえば、昔から今に至るまで男女交際やネット婚があるが、シロクマ先生の話ではネットを使った出会いはアリなのかナシなのか意図的にスルーされている。
SNSなどでは自分を美男美女キャラに盛ってナンパするような危険なユーザーも増えているので、シロクマ先生の立場では慎重にならざるをえないのだろう。しかし、ネット恋愛についても、数年間に及ぶ付き合いが大切というのであれば、非現実的すぎてアドバイスにならない。
また、5年から10年といった長い人間関係を好ましいと考えるのは、そういうネット活動を続けられたことによる生存バイアスでもある。途中でネット活動をやめた人がメリットが得られなかったかといえばそんなことはないだろうし、同一アカウントでずっと活動していてもメリットを感じられない人もいるだろう。
ネット上で活動し続けていることは信頼できる要素の一つにはなるものの、それを過大評価することは、ここでも強者の論理になってしまう。古参同士の付き合いを誇らしげに語る姿には少し違和感がある。

弱者からインターネットを遠ざける成熟思想

シロクマ先生は自分が強者の論理だということを受け入れるような態度を見せているが、それはシロクマ先生の考えの致命的な欠陥にもつながっている。

強い者ほど洞察を深めやすく、弱い者ほど洞察を深めるための材料を取りそろえられない。もし、そうした現実的傾向を踏まえて考えることが強者の論理だとしたら、なるほど、私は強者の論理で物事を考えているのでしょう。

生活が困窮している場合や、健全な人間関係を築けない場合には、現実を優先してネット活動を控えるべきだというのがシロクマ先生の意見だ。その考えに立つと、弱者がネット活動をすることは好ましくないことになる。
それは齊藤さんが指摘したとおり強者の論理であるし、シロクマ先生が意図していないにせよ、弱者への圧力にもなる。

未熟な人がネットを使うことは危険だと訴えることはもちろん自由だが、未熟な人はネットから離れたほうがいいという主張を続けていけば、それは一人のブロガーの意見にとどまらない。
ブログが炎上したときに、「休んだほうがいい」とか「病院行け」といった反応が集まることがあるが、それを見たシロクマ先生に共鳴しているユーザーが、「このブロガーは未熟なので本人のためにもネット活動を中断させたほうが良いのではないか」と考えたとしてもおかしくはない。
もちろん炎上は好ましくないことではあるが、だからといってブログの価値が否定されたわけではない。そのブログに続ける価値があるのかどうかは、そのブログを続けてみなければ誰にもわからない。
しかし、精神科医でもない一般人が「未熟な人間はブログを続けるべきではない」という信念でレッテル貼りすることは危険な行動になる。それは「本人のためにもなる」というメソッドで気に入らないブログを排斥することにもつながるからだ。

もちろん、個人の感想というのは自由だし、実際にはシロクマ先生はそこまで影響力があるわけではない。しかし、シロクマ先生の考えというのは、本人が強者の論理だと認めてしまうと過激な思想に通じてしまうようなところがある。
例えば、タバコや酒は健康に良くないとしても、弱者はタバコや酒をやめるべきだという考えは、一般的には受け入れられない。しかし、弱者は健康のためにネットから遠ざかるべきだというシロクマ先生の主張は、それとまったく異なる議論ではない。houyhnhm氏がシロクマ先生のことを「ありがた迷惑な、社会的欲求の変形」だと指摘しているが、精神科医が確信を持って発言するのならまだしも、一般人が真似をすると非常に危険な行動になる。
それはインターネットの理想とは真逆の、人間を排除する選民思想的な考え方でもある。

たとえば、人を騙してリソースを搾り取ろうとする人間・調子の良いことをペラペラ喋る人間の後ばかりホイホイついていってしまうような人が、ネットで心理的な成長のチャンスを掴み、幸福に辿り付けるでしょうか?
 
 いいえ、そういう人間はインターネットでは真っ先に食い物にされるだけです。

ネット社会において、ネット活動から遠ざかることは、それが弱者救済になるという根拠があったとしても、当事者にすんなり受け入れられることではない。もしそれを主張するのであれば、本来は論文やデータなどで証明すべきことなのかもしれない。
逆にネット社会においては、情報格差などの観点から、弱者こそSNSやブログを活用すべきだという考え方もできるだろう。それはシロクマ先生が望んでいる、健康的で秩序のあるブロゴスフィアという理想からは離れるかもしれないが、ある意味で現実を素直に投影したネット社会の姿になる。よくゼブラ氏が「はてなメンヘルの巣窟」と発言しているが、それはネット化した社会の避けようがない一つの側面でもある。