コンビニ店長と思われる増田のエントリーについて

コンビニ店長(mk2氏)が増田(はてな匿名ダイアリー)に書いている。まぎれもなく店長の文章だったが、真偽を知りたいと思う人もいると思うのでまとめておく。
(追記)削除されました。魚拓

諸般の事情によりブログをやめざるを得なくなった。んで、なにも書かなくなった。そんで気づいたんだけども、俺、ひょっとして終わってたんじ…
http://anond.hatelabo.jp/20131214191811

増田のトラックバックには、ファンの方による指摘がある。
この人は言葉の使い方が違うと指摘しているが、最終的には店長だろうと結んでいる。

3分考えた。書いているのは店長かもしれないと思ってきた。

もしそうなら本当に終わったんだと思った。

「でも、すべきじゃない。それは正しくない。」という文章は、なにより店長が書くことを終えたとという証拠になる。

よく分からないが、もし店長が書いた記事ならば本当にただ事ではない。

死ぬまで書きつづける人だと思っていたのだけど。

人間なにがどうなるかはわかんない。

http://anond.hatelabo.jp/20131214191811

(こちらも残念ながら消えてしまった。ブックマークコメントからTumblrアーカイブに飛べる)

ブックマークのコメントでも真偽を疑っている声はない。


mshkh
キャラが立ちすぎてて,誰が書いたかすぐに分かるのが切ない

KariumNitrate
ストレスが原因で頭頂部が拡がってないことを祈る。トラバとブコメ見て思うけど、実在する名称を挙げると迷惑かかるんじゃないかなあ。嫌がらせが目的ならしかたがないけど。

hototogi123
今回も早かったなと笑ってしまう。増田だから誰だか分からねぇけど。終わりの始まりに、まだ文章が残ってますように

kash06
「んで」でいきなり誰かわかった結果、先を読んでいいのか迷った。

parsec
終わった人が書いた文章にしてはすごく熱がこもっている

ウォッチャーとしての視点からチェックしてみる。

諸般の事情によりブログをやめざるを得なくなった。んで、なにも書かなくなった。そんで気づいたんだけども、俺、ひょっとして終わってたんじゃないだろうか。人間が終わるときには、どんなふうにして終わるんだろうってのは前から興味があるところだったんだけど、なるほど、こういうふうに終わるんだ、と納得が行った。
この部分だけでも本人だと感じられる。
店長はいつもこういうスタンスだった。自分のなにかが欠損していることに気付いたり忘れたりする。自己評価が定まらない。
自分を俯瞰しつつ、どこか生きづらさを感じている自分のことを語る。

別に終わったからといって、意識が急激に変化するわけでもない。物事の認識が(それまでの自分と比較して)歪むわけでもない。目の前にあるものは、ただあるべきものとしてふつうに見えてる。じゃあどこが変わったのかというと、どうでもよくなった。自分を取り巻くあらゆるものが他人ごとに見えるようになって、自分の利害と関係ない限り、そこに自分のどういう意志も及ぼす必然性を感じられなくなった。つまり、自分のこと以外はどうだっていい、ということだ。
ブログを閉じてから、無感情状態になった様子を語る。なりすましでは書けない文章。

じゃあなぜ以前は書けていたのかというと、たまたま自分の手元に大声をあげられる手段があったからっていうだけのことだと思う。その証拠に、今回、かなり急なかたちで、しかも自分の意志と関係なくやめざるを得なくなったのに、次の瞬間には「まーしゃあないか」くらいのことしか思ってなかった。手段があったから声をあげてた。そんだけなんだと思う。こういうのを本末顛倒という。
ツイートでも直後はそのような気分だったことが受け取れる。

前半部分に店長らしさを感じた。
冒頭に書く理由みたいなものを入れて、調子を整える癖がある。こんなにダメな俺をさらけ出していいのか、まいっか的な自分語り。

そして後半、俺には必然性がなかったとか言い出す。

最近は老害っていう言葉がネットではすっかり市民権を得た感じがあるんだけど、終わった自覚もなしに、そこに手段があるから声をあげているような状態に陥ったときに、その人は老害と呼ばれることになるんだと思う。声をあげるというのは、やむにやまれぬ内的必然性によってすることだ。かつての俺がそうだったように。もちろん、そうでなくても声をあげる必然性を持っている人はいるが、俺はそうではなかった。聞いてくれる人がいるから声を出す、というのは俺にとっては本末顛倒だった。正しくなかった。
正しいよ!ちょっと疲れてるだけだよ!
じゃなきゃ月間100万PVも行くか!読者にあやまれ!

正直なところ、いまからでも影響力を取り戻す手段なんていくらでも持ってる。そうしたいという色気がないと断言したらそりゃ嘘になる。でも、すべきじゃない。それは正しくない。
書き手がいて、読者がいて。ほかになにがあるんだっていう。面倒くさい!!

ひとまず、俺は終わった。
ようじょのおしっこ浴びたら生き返るけどな。

外的要因がなければそのことに気づけたかどうか。終わりの兆候はあんがいわかりづらかった。書いてると惰性になるし、人において惰性の力はあんがい強い。生活習慣みたいなもんで。自分の変化ってのものは、いつも「かならず」自分の予想していない角度からやってくるってのは俺の持論だけど、今回もやっぱりそうだった。
こういうハードボイルドな語りをする。

そんでまあ、俺の培った技術は、このまま腐って消えていく。そのことに対する愛惜の念はあるんだけど、それだって別にどうでもいいという感じが強いんだよね。生活に直接に役に立つものじゃないから。この先、別の内的必然性が俺を突き動かす可能性はゼロじゃないけど、どうなんだろうね、そのときには文章を書くことがしんどくなってる気がするんだわ。
こういう自信が持てない自己否定感情はどうすれば治るのか。

なんだかんだで、書くことと俺の蜜月は終わった。ここが終点なのかもしれないし、あるいはあんがいここが本当の始まりなのかもしれない。そのへんはわかんないんだけど。いまの俺にとって、自分を表現する手段は文章だけじゃない。その場所に到達してようやく「ふつう」ということなので、それでも書く理由が残されてるかどうかですね。

これからのこと

私がこのブログを続けられた要因の一つは、「コンビニ店長のアカウント削除について」を書いたことだ。
たいしたことのない記事を書いて放置しておいたところ、みるみるとアクセスが伸びていった。
今でもGoogleなどから「コンビニ店長」、「24時間残念営業」で毎日30〜60PV前後のアクセスがある。

もちろん複雑な理由があるようなので、完全復帰は難しいのだろう。
今までと同じように書くことはできないかもしれないが、本人も書いているように手段はある。


店長の文章を読んでいた人はたくさんいる。

この1か月の増田より。

私はときおりコンビニ店長が恋しくなる。彼に対する好悪はともかくとして、彼はきちんと文章を書けていた。

また彼の「書かざるをえない」情熱も伝わってきたし(晩節はそうでもなかったけど)、コンビニから世界を眺めるあの視点は我々にとってとても楽しかった。

ああいう貴重なブログ読み体験を我々はできなくなってきている。

ブログ論争 個人的まとめ

ただの自慢だが、俺はコンビニ店長が昔やっていた今もなお生きているサイトを8個ほど知っている。

タンブラーなどのサービスも含めてると10個以上はある。

俺くらいのファンになるとそれくらい追いかけているのだ。

コンビニ店長が昔やってたブログをいっぱい知っている

じつは店長の更新停止は今までに3回あった。
1度目は、ブログを新しく作るまで約4か月(増田に連投したあと、新アカウントで復活)
2度目は、粘着されて再開するまで約1か月半。
そして、3度目は今回。ブログ閉鎖して約1か月半で増田に書いた。
店長はブログやツイッターを作っては消してを繰り返す特徴がある。だから、また帰ってくると信じている人は多い。

店長は、また生き返る。
増田のエントリーを消してしまったファンの人は「もし店長が書いた記事ならば本当にただ事ではない」と書いているけど、店長本人は「自分の変化ってのものは、いつも「かならず」自分の予想していない角度からやってくる」と書いている。

だから今回のは予告編なんだと思う。

追記:このエントリーについて(2013-12-15)

増田のエントリーが消えてしまったので、ここに転載しておいていいのか迷った。
しかし、オリジナルはたった数時間で300ブックマークを超えているので、おそらく約1〜3万人程度に読まれていると推測される。あと、魚拓も保存されている。
このエントリーを読みに来た人は、たまたま気づいていなかった人たちや、店長の熱狂的なファンの人もいるだろう。見逃してしまった人はくやしい思いをする。削除をするくらいなら、投稿すべきではなかったし、そういうことをするからゲスなウォッチャーに記録されるのだと思う。
だから、このエントリーは残しておくことにする。