承認欲求=安全運転論と炎上慣れするインターネット

cild氏のブログ炎上をきっかけにして、承認欲求に関するエントリーがいくつか書かれていた。

「痴漢に遭わない女性の特徴」として、デブ・ブス・キツイ女性を挙げ「痴漢に遭わないというのは、世間の需要に完全にミスマッチ」とまで書いたとあるブログが炎上した。 当初は炎上マーケティングによるウェブ広告収入が目的と思われたが、広告主であるGoogleは倫理に反することを書けば掲載を打ち切るらしい。では何が動機か。キーワードとして挙がってきたのは「承認欲求」だった。

なぜ承認欲求に人は狂うのか?「デブ・ブス・キツイ女は痴漢に遭わない」と炎上したブログの分析 - 外資系OLのぐだぐだ

多くの人が見逃しがちなのは、承認欲求の肥大化はネット特有の現象ではなく、むしろ現実社会の方が熾烈な承認欲求のゲームになっていることである。 家族から承認されたい、友達から承認されたい、恋人から承認されたい、

承認欲求は脅威ではなくネット社会に不可欠な要素である - はてな村定点観測所

ブログを賞賛されまるで自分が素晴らしい才能を持つように思いこんでしまうことがある。 だからこそ現実世界と比較したとき、ネット世界に依存してしまう。 現実では凡百の自分が、ネットでは認められる存在。 しかし依存しすぎて、ネット世界のむき出しの自意識が攻撃されたときに対応しきれずに破たんすることもままある。

ネットダンジョンと「自分の領分」という護符 - あざなえるなわのごとし

インターネットにおいて「承認欲求強すぎ」「承認欲求乙www」というふうにマイナスな意味合いで承認欲求という言葉が使われていることには強い違和感を持ってしまう。一方でPV数やRT数、ブックマーク数、そういった数値化出来るインターネットが承認欲求を刺激しやすいのもわかる。

燃えろ!!承認欲求 - Everything you've ever Dreamed

2つ目の齋藤さんのエントリーは承認欲求を肯定する内容になっている。最後のフミコフミオ氏のエントリーは半分ネタだが、「(ネットでは)ごく一部の承認欲求を満たせればいい」という本音っぽいことも書かれている。

この件についてズイショ氏がブックマークでコメントしていたのが腑に落ちた。

承認欲求は脅威ではなくネット社会に不可欠な要素である - はてな村定点観測所

承認欲求の話って「安全運転を心がけましょう」って話題だと僕は認識しているのだけど、どうにも自動車持つ奴は馬鹿だとか田舎は自動車ないと生きていけないんだよ糞がみたいな話になりがち。という印象。

2015/11/11 15:10

そういえば欲望を増幅させる装置として、自動車とブログは似ているところがある。
かつて自動車は自己表現の手段でもあった。もっと速く、もっと目立ち、そしてもっと遠くへという欲求を満たしてくれる自動車は多くの人の夢だった。しかしコモディティ化するにつれて新鮮味は薄れ、若者の興味は車からスマホSNSへと移った。
昔の自動車を取り巻く環境というのは、時代のせいもあるが、もっと荒っぽくて野蛮なものだった。若者の暴走行為が毎週のように繰り返され、飲酒運転も当たり前にあり、貧弱な安全性能のせいで簡単に人が亡くなった。おそらく自動車と同じように、現在のインターネットも未来から見れば野蛮なところがたくさんあるのだろう。
しかし、野蛮で発展途上だからこそおもしろい部分もある。ネットには今でもLINEスタンプのような一攫千金の夢はあるし、vineのような新しい動画投稿が人気を集めることもある。
有料メルマガをホリエモン氏がブームにしたのが2010年。最近ではブログが炎上してもアフィリエイトが成り立つことをイケダハヤト氏が証明し、有料サロンという信者ビジネスをはあちゅう氏が成功させている。さらにYouTuberのCMは昨年から流れ続けている。
かつて個人ブログは有名になっても承認欲求が得られ、せいぜい書籍化できる程度だったのが、マネタイズが浸透した結果、一部の人はそれで生計を立てられるようになった。この動きは今後も加速していくだろうし、そこに参加するユーザーはこれからも増えていくだろう。

マネタイズを目指す暴走行為

現在のネットというのは、一流レーサーを目指している人たちと一般ドライバーが同じ道を走っているようなものだ。古参ブロガーがスピードを出しすぎるなと苦言を呈しても、新参ブロガーはもっとスピードを出しているネット有名人たちを見ているので議論がかみ合わない。ネット収入が目的の新参ブロガーから見ると、承認欲求を振りかざしてウエメセで説教をしてくる古参ブロガーは邪魔な存在なのかもしれない。
トップを走るネット有名人が今までに数多くの失敗をしてきたことは、誰もが知るところでもある。彼らは炎上を繰り返すことで注目され、炎上によって成長したり洗練されたようにすら感じられる。極端な発言を繰り返す起業家や自分の頭で考えるアルファブロガーなど、炎上が常態化している場合には、過激な発言をしてもそういう人だからとスルーされることもある。それはネットで影響力を持つためには、必ずしも常識人である必要はないということでもある。芸人が必ずしも常識人はないのと同じようなことだろう。

ネットでは法律に違反しないかぎり何を書くのも自由なので、自主規制でバランスを取らなければならない。私的な領域をどこまで見せるのかというのは難しい問題でもある。うまくバランスを取らなければブログサービスの新着一覧から外される措置を受けたり、アフィリエイトのペナルティを受けることもある。
ネットで有名になるためには、そうした落とし穴をかいくぐりながら、できるだけプライベートをさらけ出し、炎上してもファンを逃がさないようにしつつ、他の人よりも素早く巧妙に活動して注目を集めなければならない。人気ライターのヨッピー氏は炎上防止のために「プロ無職を名乗ってるのは、弱者を装うみたいな部分」があったと話しているが、そこまでしなければ批判や炎上を避けてネットで有名になることは難しいのだろう。

炎上慣れしていくインターネット

twitterや動画投稿サイトなどでは炎上耐性のあるユーザーが増えている。それは頻繁に炎上することでナイーブな人たちが退場していったのか、あるいは注目されている人々が炎上耐性を身につけたのかはわからない。元からの性格もあれば、強い信念があること、匿名で活動していること、フリーランスの立場であることなど環境に左右される部分もあるだろう。それに加えてネット社会全体が炎上慣れしつつあるようにも感じられる。
またマネタイズを目指すブロガーにとっては、炎上を恐れて抑制的になることよりも、SNSで社交的に活動したり、ブログを毎日更新することが重要視されている。その結果として炎上してしまい、承認欲求に飲み込まれて自滅するブログは今後も少なからず現れるだろう。
そういえば昨年、『ブログ収入を夢見るニートの無謀な挑戦について』というエントリーを書いたが、炎上したcild氏は生活が困窮していないものの、ブログにしがみつくように更新しつづけているブロガーの一人でもある。また現在でもはしごたん氏のように生活の困窮を訴えているブロガーは多い。

ネットを巡る状況というのは、抑制的で秩序のある状態ではなく、どこか現実社会とは違う情緒的で野蛮な方向に向かっているように見える。身バレしたら絶対に書けないような本音や自分語りが注目を集める一方で、実名で当たり障りのないことを書いてもなかなか注目されない。こうした状況において、適度な承認欲求という話だけではなく、どうすれば炎上を避けられるかという実利的なアドバイスを考えるべきなのかもしれない。
シロクマ先生のエントリーを読むと、その辺りのことは理解したうえで、それでもなお過剰な承認欲求や拝金主義は抑制されるべきだと考えているようだ。

現金という、承認欲求以上に身も蓋も無いゲンブツを托鉢するなら、それに見合った節度やデリカシーがあって然るべきだと私は思うのだが、昨今の“ブログフィーバー”においては私のようなモノの考え方は“時代遅れ”のようである。 ええ、時代遅れ、なんでしょうね、私は。

承認欲求を托鉢する時代は終わり、現金を托鉢する時代がやって来た。 - シロクマの屑籠

もちろん古き良きネット文化を愛する人たちにとっては、それを守ることも大事なのだろう。ただ、それに賛同するのが古参ユーザーばかりではあまり意味が無い。はてな界隈は古参ユーザーの厚みがあることが特徴の一つだが、そのことはネット収入が目的の新参ユーザーの活動を抑制させる同調圧力にもなってしまう。そうした問題はどんなコミュニティでも存在することとはいえ、ユーザーの入れ替わりの少ないコミュニティはいずれ衰退してしまうだろう。
個人的には、はてな界隈では承認欲求に関する安全標語が多すぎる気がしている。そろそろ承認欲求だけではなく、炎上耐性や炎上後の対策について考える時期に来ているのではないだろうか。